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なんとなく観た映画の感想です。マイナーな映画が好きですが、そうじゃないものも好きです。たまに舞台やドラマの感想も。
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<2007年11月 福島フォーラムにて観賞>


愛しの勘三郎さま


息子の七之助ちゃんが先に弥次さん喜多さんの喜多八役を演じていた(宮藤官九郎監督真夜中の弥次さん喜多さん)のは面白い因縁というか偶然というか。

そういえば喜多さん柄本明の息子柄本祐くんも真夜中の・・・の岡っ引き呑々役だし、てれすこの生臭坊主役麿赤児(怪!)の息子大森南朋♪も真夜中の・・・の拷問される侍役ででている。だいたい勘三郎自身も真夜中の・・・にアーサー王(笑)役で息子と共演してるし。
おもしれー。偶然なのかどうなのか?

喜多さん芝居で吉良上野介に切りかかるところぐっさり刺す大失敗の上、首吊りも失敗してじたばたしたり酒乱大暴れですっからかん。

弥次さん狸に化かされ小泉今日子花魁にだまされ散々な挙句偽坊主になって小泉花魁の葬式やるはめになり、ほんとは生きてた小泉花魁と涙の別れで大団円。ほんとわけわからん。
笑いと涙で至福の時間。

ところでてれすこっていったい何?
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<2007年3月 ビデオにて観賞>


マイナー映画同好会番外編


このまえ、久々にブラックジャック(←おお、チャンピオンコミックス!)を、1巻からずーーっと読みふけったのよ。
さすがに16巻あたりで休憩したけど。

子供の頃から好きだったブラックジャック。
大人になって、全巻大人買いしたときの充実感ったらないね。
かっこいーもん!
全体に漂う場末感、ブラックジャックのダークな雰囲気。
どこをとっても大人のかっこよさがにじみでてる・・・


ところで、最近ずーっと香川照之の出演作品を探しているおいら。
まさに、あった。

「ブラックジャック」(実写版)

ビデオ屋の、隅っこのほうに。

あるのは知ってたけど、どうしても借りる気になれなかったの。
だってさ、だいたいブラックジャックの実写版ってさ、イメージぶち壊しのことが多いんだもんな。

パッケージをみると。

主演:隆大介

すみません、存じ上げぬお名前。

その外見。

オールバックだし。
顔にキズはあるものの、ぜんぜんブラックジャックじゃなーい(否定形)

この前やっと、勇気をふりしぼって借りて、観てみた。


香川君は、ブラックジャックを慕う若き外科医の役。
大病院の不条理に悩みながらも、ブラックジャックに出会うことによって、医者としての本分に気付く。

原作のストーリーを何個か組み合わせて、2時間弱の作品に仕上がっている。
その出来は。。。

意外によかった。

ブラックジャックの外見こそ違うんだけど、それもまたありかなと思わせる雰囲気。

そもそも、原作そのままの髪型にすることに無理があって、実際にやったらまるで鬼太郎じゃん。
だから、実写で出来る範囲のデフォルメの最大限の外見を、違和感なく作り出したということなのかな、って思った。

ブラックジャックの雰囲気も、原作がかもし出しているダークさを踏襲。
も一ついえば、原作って、けっこうコミカルな部分もあって、いままでのアニメでもなんでも、その部分がぬけてたんだよねえ。
やたらとヒーローだったり、暗く熱い情熱みたいなさ。

でも、この作品には、そういったコミカルタッチな感じも含まれてて、かなりよかった。

ストーリー展開も、何個かのエピソードを無理なくつなげて、内容的にもかなり厚みをもたせてある。

原作をそのまま表してもいいものにはならないわけで、この作品は、その壁を見事に越えている。


ついでにいえば、香川君かなりめんごいし。
(つーか、それが一番大事)

あと2シリーズあるんだけど、香川君は出演していない。

借りようか、借りまいか。
悩むところ。

これがほんとにがっくりくる内容で、怒り狂ったのならきっと悩まなかっただろうな。
とゆーことは、けっこうよかったってことかな。

がちがちのブラックジャックファンにはどうかな?オススメしないかな。
でも、見る価値はありよ。手術シーンもリアルだし。

 

<2006年11月 DVDにて観賞>


夜のハイウェイでガオ


この前、鉄人28号観た。

実写版。

鉄人28号って、アニメをちゃんと観た事がなくて、実写版映画を観て、鉄人が出てきた(と思った)とき、あ、鉄人って、思ったよりスタイリッシュだな、もっと無骨なイメージがあったけど、かっこいいな、なんて感心してたら。

それは鉄人ではなくて、敵役のブラックオックスだった。

ヒーローよりも敵の方がかっこいいのはいつの世も同じこと。

それでは鉄人はどうだったかというと、おいらのかすかな記憶通り、無骨の極致。その姿はまるでドラム缶に手足をつけたよう。がんばれロボコンのほうがまだ動きがスムーズ。
手足の関節もあまり柔らかくはないようで、ブラックオックスとの戦いのときにも、硬い腕で、がんがん叩きあうのみ。CGもそんなに駆使しているようにはみえず、鉄のボディのツヤで、かろうじて、あぁ、CGなんだな、とわかる程度。

そもそも、鉄人のあのデザインで、柔らかい動きをしろというのが無理な話で、自由度が大きいアニメならともかく、リアリティを追求するCGでは、リアルに鉄の塊に見えてしまう分、動きに制限がでてきてしまったようだ。

それでは、この作品はそもそも実写化されるべきではなかったかと言えば、そうとも言えないかな。

金田正太郎役の池松壮亮くん(ラストサムライにも出演)の、常時泣きっ面がいいな。
鉄人の開発研究中の事故で父親の金田正一郎を亡くしているが、その際の記憶が正太郎にとっては父親との葛藤の原因となっている。

自分が父親から愛されていなかったのでは、という潜在意識に苦しめられられる正太郎。
転校先でも同級生になじめず、孤独な日々を送っていた。

ブラックオックスの登場により、眠りから覚めることとなった鉄人。
鉄人を操縦することとなった正太郎は、最初の戦いでブラックオックスに敗れるも、訓練に耐え、互角に戦えるようになる。
その過程で、正太郎は父親の愛を知ることとなる。
父に愛されていなかったのでは、という記憶は、正太郎の誤解だった。

正太郎の誤解を正すことのなかった母親の思いも複雑なものがある。
つまりは、正太郎も自分の夫と同じ道を歩むのでは、という恐怖。それは、夫を亡くしてから女手ひとつで正太郎を育ててきた者にとって耐え難いこと。責めることはできない。

だが、正太郎が、父親の呪縛から解き放たれ、鉄人を操縦することを決めたときの、母の表情は、すがすがしく、且つ、強い。

そして、父の記憶、母の思いから一歩前に進もうとする正太郎の、大人びた表情。
これは、金田正太郎という少年が、青年へと進化する、ある種の成長譚でもあるのだろうね。
泣きっ面が、いつの間にか自信あふれる大人の顔へと変化しているもん。

それに対して、ものすごーくもったいないなと思うのは、ブラックオックスをつくった天才科学者、宅見零児の描き方。
過去に、生きていれば正太郎と同い年の息子ヒカルを亡くしており、その心の傷によって、世の中を怨み、世間に対しての復讐心で生きている男。

心に闇を抱えた宅見の複雑な人物像を、香川照之が、抑えた、しかし迫力ある表情で演じている。
全体的に動きや表情の変化に乏しい宅見を、非常に繊細に、静かに、そして暗く燃える炎のように熱演。
終始、なんとなく浮かれた雰囲気のある本作品に、香川の演技がスパイスのように効いている。
好演してるだけに、宅見の心の闇を描ききれず、単なる「悪い人」で終わってしまっているのは、惜しい。
秘書のレイラとの微妙な関係ももっと突き詰めてほしかったところなんだけど。

これはやっぱり「ロボット映画」としてのくくりは出来ないな。もしそうしてしまうと、単純に、現在のロボットアニメ、CGなんかとの比較対象になってしまって、もちろん鉄人のデザインの問題もあって、どうしたって太刀打ちできないもんなあ。
それよりも、監督が描きたかったのは、あるひとりの少年の成長の記録だったのかなと思った。
だから、往年の鉄人ファンにとっては少し物足りなかったのかも。

わしは十分堪能。

てゆーか、香川君がかっこよければいいんだろ?って感じかな。
<2006年11月14日 福島フォーラムにて観賞>


トヨエツ改めトヨアツ


この前、フラガール、観てきた。
とりあえず福島県人としていっとこーかーぐらいの軽い気持ちで行ったんだけどね。

後半からずーーーーーーーっと泣いちった。
ぼろぼろぼろぼろ。


ところで。

隣に座った中年夫婦。
予告のときからしゃべりっぱなしで、いやな予感がしたんだけど、本編始まってからもおしゃべりはやまなかった。

夫「あら、あのボタ山、見でみ」
妻「んだな、よぐつぐってあんな」

(そりゃつくるさ)

夫「なんだ、ぜんぜんおどりへだだなあ」
妻「んだんだ」

(そーゆー設定だからね)

夫「あれ、みでみ、くづはいんねえんだな」
妻「しずちゃんでっけずなあ」

(たしかに。しずちゃんはでかい)

そんな感じで、夫妻のおしゃべりにつっこみをいれてはいたけれど、そのうちそんな声も気にならなくなるほど、映画にはいりこんでいったワシ。

別れのシーンで涙し、落盤事故で父親が死んでしまうが、気丈に踊るしずちゃんに涙し。

特に、ラストの、オープン初日に全員でステージに立つシーンは圧巻。ゾクゾクッときた。


そんなこんなで映画が終わり、涙をぬぐって劇場をでたとき・・・


夫「いんや、しずちゃんもなあ、あんなでっけなりして、まんずよぐ踊ったごど」
妻「んだな」
夫「あの、あんちゃんは・・・とよ、とよかわ・・・あづしが?」
妻「んだ。とよかわ、あづしだな」




(えつしだーっ)

と、心の中で叫んだのは言うまでもない。


たぶんこの夫婦、普段映画館で映画なんてみないんだろな。
今回、たまたま福島県が舞台だから観に来たんだろな。

そう思うと、なんとなくほほえましくなるね。

これからもどんどん映画を観に来てほしいね。

できれば黙って。
 

<2006年11月1日 福島フォーラムにて観賞>


マイナー映画同好会7


ある日、用事があってあんちゃんの携帯に電話したら、
・・・おかけになった電話番号は現在使われておりません・・・

あんちゃんまた携帯変えた・・・

うちのあんちゃん、携帯の機種で気に入ったものがあれば、他社にすぐ乗り換えて、電話番号変わっても平気らしい。
(まだナンバーポータビリティとかやってなかったからね)
あと、たまに新規にしたほうが安かったりすると、新規にして、また番号変えちゃう。

へんなの。。。

仕事でケータイ使うわけじゃないから、いいのかもしれんけど、いちいち不便だよなあ・・・
あ、だからよくあんちゃんの友達から固定電話にかかってくるんか!
なんでケータイにかけんかなーって思ってた。

あるいは、スパイとか、スナイパーとか、裏の顔があって、連絡先ちょこちょこかえなきゃいけないとか・・・んなわけないか。

あんまり普段はしゃべらない兄弟だけど、仲が悪いわけではなく、何かあるとやっぱりあんちゃんに相談したりする。
おねえちゃんとか、妹とかほしかった気もするけど、でも、ま、あんちゃんがいてよかったな、って思うときもたまにある。(昔は殴り合いのケンカとかしたけどね。)

兄弟つながりということで、兄弟をテーマにした映画を観てきたのでその感想。



えいがのかんそう(「ゆれる」ネタバレ注意!)



久々に凄い映画を観た気がした。
西川美和監督
「ゆれる」
主役の、早川猛(はやかわ・たける)を演じるオダギリジョーの力量も然ることながら、猛の兄、稔(みのる)を演じた、香川照之の圧倒的存在感と、演技力は、身震いがするほど。

東京で写真家として成功している猛は、母親の一周忌のため、山梨の実家にもどる。
兄の稔がついでいる家業のガソリンスタンドでは、二人の幼馴染みの智恵子が働いている。
次の日三人は、近くの渓谷まで遊びに行くが、つり橋の上から智恵子が転落してしまう。
そばにいたのは稔一人。
事故なのか、殺人なのか。裁判が進むなかで、やさしく実直だった稔の、違う一面が現れる。
兄の変化に戸惑う猛。そのときに猛のとった行動は、意外なものだった・・・。

まるで芥川龍之介の「藪の中」のように、二転三転する墜落の瞬間の回想シーン。
何が真実なのか、観る者を惑わせ、焦燥感をあおる、西川監督の演出は見事としか言いようがない。

物語が進むにつれ、微妙に変化していく兄弟の関係。

さびれた田舎の小さいガソリンスタンドを、父と切り盛りしている稔。
優しく、気の弱い稔。あまりうまくいっていない弟と父の間を、右往左往しながら取り持とうとし、怒る弟をなだめる。
そんな稔が、智恵子の転落事故(事件?)を境に、したたかで、計算高い、ずるい一面をあらわしていく。

香川照之の凄いところは、どんな役でも、この役は香川照之にしかできないと思わせることだ。
裁判の過程で徐々に変化していく稔のしたたかさを、視線の動き、話し方、うなだれた首筋、すべてが演じている。

傍聴席に向かい深々と頭を下げる態度、自分が智恵子にどんな罵声を浴びせかけられたかを弁護人に問われた時の、消え入りそうな声。(←かなりかわいい!)
明らかに裁判官の心象をよくしようという計算高い、巧妙な稔の演技。

猛が智恵子と寝た後に家に帰り、洗濯物をたたむ兄とぎこちない会話を交わす。
お互いに腹の探りあいをする二人。
何も知らない振りをしつつ、すべてを知っているような、不気味さをかもし出す稔。

香川照之、かなり凄い。

オダギリジョー演じる猛は、都会で活躍する新進気鋭のフォトグラファー。
レイバンのサングラスに、皮のコート、派手なパンツ。
クラシックなフォードを乗り回し、女には不自由せず、自分の才能に絶対的自信を持っている。
面白いくらいに、いかにも、のステレオタイプの男を演じている。

猛は、どこかで、田舎から出られない、ちっぽけな街に安住している兄と自分を対比し、優位に立っているという錯覚を起こしていたのだろう。
智恵子と寝たのも、兄が智恵子に対してひそかに思いをよせているのを感じ取ったことがあったのだろうし、転落事故後の、動揺して錯乱状態の兄に対しての、おれが兄貴を守る的な発言や、面会時に、投げやりになる兄に、絶対無罪だから、とのなぐさめ。
すべてが絶対的に優位に立つ者の驕りだったのかもしれない。

だから、実直だけが取り柄で、優しかった稔が、どんどんしたたかになっていき、ふてぶてしいまでの印象を残すようになったのと反比例するように、全てがかっこよく、自信たっぷりだったはずの猛が、どんどん自信をなくしていき、兄の変化に戸惑い、自分の目撃した記憶に恐れ、破綻していくさまは、あまりにもつらくて、正視できないほど。

後半は、いい意味で予想を裏切られた。
猛のとった行動が、兄と、兄を守ると言った自分の言葉を裏切ることになったこともしかり、
(これはある程度知っていたけれど)
そして、裁判での最後のシーンに、兄を蹴落とすことになった猛に対しての、稔の穏やかな表情。
あくまでも、穏やかな表情を崩さない香川照之の演技。

しびれた。

ここで物語が終わってもよかったと、一瞬思った。
兄弟の絆を断ち切って、そのまま余韻を残すような演出でもいいと思った。
その後の物語は蛇足ではなかったかと。

だが、その予想も見事に裏切られた。

母親の形見の8ミリを観る猛。
子供の頃の映像に、よみがえるもうひとつの記憶。

いや、これは真実の記憶なのか?
猛の願望が、昔のフィルムに触発されて、再構成されただけではないのか?
(監督自身は、真実めいたことを語っているけれど。)

だが、実はそんなことはどうでもいい。
なぜなら、本当に再構成されようとしているのは、稔と猛の兄弟としての関係だったから。

それは、ラストシーンの稔の笑顔が如実に表している。

あの後、稔はどうしたのかな。
バスに乗ったのかな。
これこそが本当の余韻。


秀作。
 

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