なんとなく観た映画の感想です。マイナーな映画が好きですが、そうじゃないものも好きです。たまに舞台やドラマの感想も。
<2006年11月 DVDにて観賞>
夜のハイウェイでガオ
この前、鉄人28号観た。
実写版。
鉄人28号って、アニメをちゃんと観た事がなくて、実写版映画を観て、鉄人が出てきた(と思った)とき、あ、鉄人って、思ったよりスタイリッシュだな、もっと無骨なイメージがあったけど、かっこいいな、なんて感心してたら。
それは鉄人ではなくて、敵役のブラックオックスだった。
ヒーローよりも敵の方がかっこいいのはいつの世も同じこと。
それでは鉄人はどうだったかというと、おいらのかすかな記憶通り、無骨の極致。その姿はまるでドラム缶に手足をつけたよう。がんばれロボコンのほうがまだ動きがスムーズ。
手足の関節もあまり柔らかくはないようで、ブラックオックスとの戦いのときにも、硬い腕で、がんがん叩きあうのみ。CGもそんなに駆使しているようにはみえず、鉄のボディのツヤで、かろうじて、あぁ、CGなんだな、とわかる程度。
そもそも、鉄人のあのデザインで、柔らかい動きをしろというのが無理な話で、自由度が大きいアニメならともかく、リアリティを追求するCGでは、リアルに鉄の塊に見えてしまう分、動きに制限がでてきてしまったようだ。
それでは、この作品はそもそも実写化されるべきではなかったかと言えば、そうとも言えないかな。
金田正太郎役の池松壮亮くん(ラストサムライにも出演)の、常時泣きっ面がいいな。
鉄人の開発研究中の事故で父親の金田正一郎を亡くしているが、その際の記憶が正太郎にとっては父親との葛藤の原因となっている。
自分が父親から愛されていなかったのでは、という潜在意識に苦しめられられる正太郎。
転校先でも同級生になじめず、孤独な日々を送っていた。
ブラックオックスの登場により、眠りから覚めることとなった鉄人。
鉄人を操縦することとなった正太郎は、最初の戦いでブラックオックスに敗れるも、訓練に耐え、互角に戦えるようになる。
その過程で、正太郎は父親の愛を知ることとなる。
父に愛されていなかったのでは、という記憶は、正太郎の誤解だった。
正太郎の誤解を正すことのなかった母親の思いも複雑なものがある。
つまりは、正太郎も自分の夫と同じ道を歩むのでは、という恐怖。それは、夫を亡くしてから女手ひとつで正太郎を育ててきた者にとって耐え難いこと。責めることはできない。
だが、正太郎が、父親の呪縛から解き放たれ、鉄人を操縦することを決めたときの、母の表情は、すがすがしく、且つ、強い。
そして、父の記憶、母の思いから一歩前に進もうとする正太郎の、大人びた表情。
これは、金田正太郎という少年が、青年へと進化する、ある種の成長譚でもあるのだろうね。
泣きっ面が、いつの間にか自信あふれる大人の顔へと変化しているもん。
それに対して、ものすごーくもったいないなと思うのは、ブラックオックスをつくった天才科学者、宅見零児の描き方。
過去に、生きていれば正太郎と同い年の息子ヒカルを亡くしており、その心の傷によって、世の中を怨み、世間に対しての復讐心で生きている男。
心に闇を抱えた宅見の複雑な人物像を、香川照之が、抑えた、しかし迫力ある表情で演じている。
全体的に動きや表情の変化に乏しい宅見を、非常に繊細に、静かに、そして暗く燃える炎のように熱演。
終始、なんとなく浮かれた雰囲気のある本作品に、香川の演技がスパイスのように効いている。
好演してるだけに、宅見の心の闇を描ききれず、単なる「悪い人」で終わってしまっているのは、惜しい。
秘書のレイラとの微妙な関係ももっと突き詰めてほしかったところなんだけど。
これはやっぱり「ロボット映画」としてのくくりは出来ないな。もしそうしてしまうと、単純に、現在のロボットアニメ、CGなんかとの比較対象になってしまって、もちろん鉄人のデザインの問題もあって、どうしたって太刀打ちできないもんなあ。
それよりも、監督が描きたかったのは、あるひとりの少年の成長の記録だったのかなと思った。
だから、往年の鉄人ファンにとっては少し物足りなかったのかも。
わしは十分堪能。
てゆーか、香川君がかっこよければいいんだろ?って感じかな。
夜のハイウェイでガオ
この前、鉄人28号観た。
実写版。
鉄人28号って、アニメをちゃんと観た事がなくて、実写版映画を観て、鉄人が出てきた(と思った)とき、あ、鉄人って、思ったよりスタイリッシュだな、もっと無骨なイメージがあったけど、かっこいいな、なんて感心してたら。
それは鉄人ではなくて、敵役のブラックオックスだった。
ヒーローよりも敵の方がかっこいいのはいつの世も同じこと。
それでは鉄人はどうだったかというと、おいらのかすかな記憶通り、無骨の極致。その姿はまるでドラム缶に手足をつけたよう。がんばれロボコンのほうがまだ動きがスムーズ。
手足の関節もあまり柔らかくはないようで、ブラックオックスとの戦いのときにも、硬い腕で、がんがん叩きあうのみ。CGもそんなに駆使しているようにはみえず、鉄のボディのツヤで、かろうじて、あぁ、CGなんだな、とわかる程度。
そもそも、鉄人のあのデザインで、柔らかい動きをしろというのが無理な話で、自由度が大きいアニメならともかく、リアリティを追求するCGでは、リアルに鉄の塊に見えてしまう分、動きに制限がでてきてしまったようだ。
それでは、この作品はそもそも実写化されるべきではなかったかと言えば、そうとも言えないかな。
金田正太郎役の池松壮亮くん(ラストサムライにも出演)の、常時泣きっ面がいいな。
鉄人の開発研究中の事故で父親の金田正一郎を亡くしているが、その際の記憶が正太郎にとっては父親との葛藤の原因となっている。
自分が父親から愛されていなかったのでは、という潜在意識に苦しめられられる正太郎。
転校先でも同級生になじめず、孤独な日々を送っていた。
ブラックオックスの登場により、眠りから覚めることとなった鉄人。
鉄人を操縦することとなった正太郎は、最初の戦いでブラックオックスに敗れるも、訓練に耐え、互角に戦えるようになる。
その過程で、正太郎は父親の愛を知ることとなる。
父に愛されていなかったのでは、という記憶は、正太郎の誤解だった。
正太郎の誤解を正すことのなかった母親の思いも複雑なものがある。
つまりは、正太郎も自分の夫と同じ道を歩むのでは、という恐怖。それは、夫を亡くしてから女手ひとつで正太郎を育ててきた者にとって耐え難いこと。責めることはできない。
だが、正太郎が、父親の呪縛から解き放たれ、鉄人を操縦することを決めたときの、母の表情は、すがすがしく、且つ、強い。
そして、父の記憶、母の思いから一歩前に進もうとする正太郎の、大人びた表情。
これは、金田正太郎という少年が、青年へと進化する、ある種の成長譚でもあるのだろうね。
泣きっ面が、いつの間にか自信あふれる大人の顔へと変化しているもん。
それに対して、ものすごーくもったいないなと思うのは、ブラックオックスをつくった天才科学者、宅見零児の描き方。
過去に、生きていれば正太郎と同い年の息子ヒカルを亡くしており、その心の傷によって、世の中を怨み、世間に対しての復讐心で生きている男。
心に闇を抱えた宅見の複雑な人物像を、香川照之が、抑えた、しかし迫力ある表情で演じている。
全体的に動きや表情の変化に乏しい宅見を、非常に繊細に、静かに、そして暗く燃える炎のように熱演。
終始、なんとなく浮かれた雰囲気のある本作品に、香川の演技がスパイスのように効いている。
好演してるだけに、宅見の心の闇を描ききれず、単なる「悪い人」で終わってしまっているのは、惜しい。
秘書のレイラとの微妙な関係ももっと突き詰めてほしかったところなんだけど。
これはやっぱり「ロボット映画」としてのくくりは出来ないな。もしそうしてしまうと、単純に、現在のロボットアニメ、CGなんかとの比較対象になってしまって、もちろん鉄人のデザインの問題もあって、どうしたって太刀打ちできないもんなあ。
それよりも、監督が描きたかったのは、あるひとりの少年の成長の記録だったのかなと思った。
だから、往年の鉄人ファンにとっては少し物足りなかったのかも。
わしは十分堪能。
てゆーか、香川君がかっこよければいいんだろ?って感じかな。
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