なんとなく観た映画の感想です。マイナーな映画が好きですが、そうじゃないものも好きです。たまに舞台やドラマの感想も。
<2007年3月20日 福島フォーラムにて観賞>
マイナー映画同好会8
マイナー映画同好会8
春眠不覚暁
最近どんなに寝ても眠い。昨日の夜は10時に寝て、朝起きると7時半。
何時間寝てるんだよって、つっこまれそう。
ただ、良質の睡眠を取れてるかといえば、そうでもないのかもなあ。
遅刻する夢とか、追いかけられる夢とか、ろくな夢を見ないし。
朝起きたときはもうすでにぐったりとしていて、一日の始まりとしてはあまりにも疲れる目覚め。
たまには楽しい夢でもみたいものだのう。
例えば好きな人の夢とか・・・
「人生は、奇跡の詩」
ロベルト・ベニーニ主演・監督
まるで夢の中の出来事のように、幻想的な青い夜。
朽ち果てた石造りの教会で、ベニーニと、ニコレッタ・ブラスキの結婚式が始まる。
てゆーか、「まるで」ではなく、すぐにこれがベニーニ演ずるアッテリオの夢の中だということがわかるんだけどね。
詩人で、大学で詩の授業を受け持っているアッテリオは、ここのところ毎晩同じ女性と結婚式を挙げる夢ばかり見ている。
青く明るい夜の教会。
トム・ウェイツの嗄れた歌声。
この瞬間がいつまでも続いたらいいのに・・・
現実の世界でのアッテリオは、自らの浮気が原因で妻と別れ、二人の娘の学校の送り迎えを仰せつかる身。
夢にでてくる女性は、伝記作家のヴィットリア。アッテリオは彼女に恋焦がれ、何回も求婚するも、はぐらかされてばかり。
友人であり詩人のフアドに久々に再会したというのに、そっちのけでヴィットリアを追いかけていってしまう。
そんな時、故郷であるイラク・バグダッドに帰国していたフアドから連絡が入る。
フアドの伝記を仕上げるためにバグダッドに行っていたヴィットリアが、空爆により負傷し、意識不明の重体だという。
イラク戦争が勃発していたのだ。
映画が始まってすぐに、フェデリコ・フェリーニの「ボイス・オブ・ムーン」を思い出した。
非現実的なほど幻想的であやしくも美しい月の下、ベニーニ演ずるサルヴィーニはさまよい歩く。
フェリーニの後年の作品にでてくるものだけど、「そして船は行く」のラストシーンの、ハリボテの客船と撮影所とか、「ボイス・オブ・ムーン」の月とか、普通、セットでもロケでも、何とか現実に近付けようとするところを、いかにも作り物のような月とか、客船とかを観客にみせている。
映画とは所詮作り物なんだということなんだろーか?
ま、それはともかく、「人生は・・・」の随所に出てくる結婚式のシーンは、夢の中のよーに(だから夢の中だっつーの!!)幻想的で甘いムードを漂わせ、おとぎ話のようなに観る者のこころにしみいってくる。
非現実的なあやしさをもった美しさは、多分「ピノッキオ」にも踏襲されているし、その流れから逸脱していないんだろうね。
そんなメルヘンのような世界と、まるっきり真逆の世界が突如として現れる。
戦争中のイラク。
厳戒体制で、イラクに入国することすら困難ななか、愛するヴィットリアを求めて、赤十字の医師団にもぐりこんでイラクに入国(医者になりすますんだけど、その展開が笑える。これぞベニーニっていう、ごり押しもなんのそのの強引さ)
ようやくヴィットリアのもとにたどり着くが、彼女は瀕死の状態。
薬も無い。ろくな医療設備も無い中、アッテリオは彼女のために奔走する。
一見意味の無いシーンや小道具たちが、後になって意味をもってくる、ストーリーさばきは相変わらず楽しく、秀逸。
地雷原にうっかり足を踏み入れてしまって、周りは大騒ぎなんだけど、アッテリオだけ気づいてなくて、観客のほうがハラハラしたり、ベニーニ・マジックにやられっぱなし。
でも、実はそんな陽気なシーンの根底に流れているのは、やっぱりイラク戦争という暗く埃っぽいものだったり。
映画の前半は、ローマの、雑然とした中にもゆっくりと流れる空気が心地よく、アッテリオの夢の中のロマンチックな雰囲気とも相まって、うっかりとあまーい恋愛映画に身をゆだねそうになるのに、いきなりのイラク戦争。
あまりのギャップに混乱してしまう。
なぜ?
なぜベニーニとイラク戦争???
「ライフ・イズ・ビューティフル」も、戦争や、ユダヤ人虐殺という暗い時代を背景に、ユーモアと愛とを加えて、息子を守り抜く父親を演じ、ベニーニと戦争は切っても切り離せない関係なのかもしれないんだけど、イラク戦争という、つい最近おこっていてまだ終結をみていない、生々しく残酷な現実と、陽気なベニーニが、どうにもうまく結びつかなかったんよね。
(第二次世界大戦と違って、自分がイラク戦争という現実と、今まさに同じ時代に生きている、ということも大きいのかもしれない)
そんなギャップを埋めてくれるのが、ジャン・レノ演ずる詩人、フアド。
フアドは暴走ぎみのアッテリオをやさしく見守り、諭しながらも、自らは絶望のなか、悲劇的な結末を選んでしまう。
フアドこそが、多くを語らずにベニーニとイラク戦争を結びつける重要なバイプレーヤーとなっている。
花びらの舞うなかのフアドが、悲劇的で、でも、美しかった。
それにしても、アッテリオは一途だね。
その一途な愛をこれでもか、と、みせつけられて、こっちは涙腺がゆるみっぱなし。
薬を探してくるからね、とヴィットリアにキスをするたびに、彼女の顔に触れるネックレス。
多分これは後々なにか意味を持ってくるシークエンスなんだろうなあと想像させながらも、最終的にえー、そうだったの!?とびっくりしてしまった。ベニーニに最後までだまされていたおいら。(おいらだけだったのかな?)
それから、夢の中で、アッテリオとヴィットリアのために歌っている、トム・ウェイツ。
いいねぇ。
かなり渋いね。
「ダウン・バイ・ロー」ではベニーニと共演もしている歌手。
この歌声がまた違う味付けとなっている。
ベニーニのはしゃぎっぷりも相変わらず、ニコレッタ・ブラスキの美しさもこれまた相変わらず。
安心してベニーニの用意してくれたゆりかごに揺られて観るがいいさ。
いきなり大きく揺らされてびっくりするからね。
原題である「LA TIGRE E LA NEVE」(英題The Tiger and The Snow)
虎と雪の意味が本当にわかるラストシーン。
しっとりとした感動の中、ほほえまずにはいられない。
5つ星でやんす。
最近どんなに寝ても眠い。昨日の夜は10時に寝て、朝起きると7時半。
何時間寝てるんだよって、つっこまれそう。
ただ、良質の睡眠を取れてるかといえば、そうでもないのかもなあ。
遅刻する夢とか、追いかけられる夢とか、ろくな夢を見ないし。
朝起きたときはもうすでにぐったりとしていて、一日の始まりとしてはあまりにも疲れる目覚め。
たまには楽しい夢でもみたいものだのう。
例えば好きな人の夢とか・・・
「人生は、奇跡の詩」
ロベルト・ベニーニ主演・監督
まるで夢の中の出来事のように、幻想的な青い夜。
朽ち果てた石造りの教会で、ベニーニと、ニコレッタ・ブラスキの結婚式が始まる。
てゆーか、「まるで」ではなく、すぐにこれがベニーニ演ずるアッテリオの夢の中だということがわかるんだけどね。
詩人で、大学で詩の授業を受け持っているアッテリオは、ここのところ毎晩同じ女性と結婚式を挙げる夢ばかり見ている。
青く明るい夜の教会。
トム・ウェイツの嗄れた歌声。
この瞬間がいつまでも続いたらいいのに・・・
現実の世界でのアッテリオは、自らの浮気が原因で妻と別れ、二人の娘の学校の送り迎えを仰せつかる身。
夢にでてくる女性は、伝記作家のヴィットリア。アッテリオは彼女に恋焦がれ、何回も求婚するも、はぐらかされてばかり。
友人であり詩人のフアドに久々に再会したというのに、そっちのけでヴィットリアを追いかけていってしまう。
そんな時、故郷であるイラク・バグダッドに帰国していたフアドから連絡が入る。
フアドの伝記を仕上げるためにバグダッドに行っていたヴィットリアが、空爆により負傷し、意識不明の重体だという。
イラク戦争が勃発していたのだ。
映画が始まってすぐに、フェデリコ・フェリーニの「ボイス・オブ・ムーン」を思い出した。
非現実的なほど幻想的であやしくも美しい月の下、ベニーニ演ずるサルヴィーニはさまよい歩く。
フェリーニの後年の作品にでてくるものだけど、「そして船は行く」のラストシーンの、ハリボテの客船と撮影所とか、「ボイス・オブ・ムーン」の月とか、普通、セットでもロケでも、何とか現実に近付けようとするところを、いかにも作り物のような月とか、客船とかを観客にみせている。
映画とは所詮作り物なんだということなんだろーか?
ま、それはともかく、「人生は・・・」の随所に出てくる結婚式のシーンは、夢の中のよーに(だから夢の中だっつーの!!)幻想的で甘いムードを漂わせ、おとぎ話のようなに観る者のこころにしみいってくる。
非現実的なあやしさをもった美しさは、多分「ピノッキオ」にも踏襲されているし、その流れから逸脱していないんだろうね。
そんなメルヘンのような世界と、まるっきり真逆の世界が突如として現れる。
戦争中のイラク。
厳戒体制で、イラクに入国することすら困難ななか、愛するヴィットリアを求めて、赤十字の医師団にもぐりこんでイラクに入国(医者になりすますんだけど、その展開が笑える。これぞベニーニっていう、ごり押しもなんのそのの強引さ)
ようやくヴィットリアのもとにたどり着くが、彼女は瀕死の状態。
薬も無い。ろくな医療設備も無い中、アッテリオは彼女のために奔走する。
一見意味の無いシーンや小道具たちが、後になって意味をもってくる、ストーリーさばきは相変わらず楽しく、秀逸。
地雷原にうっかり足を踏み入れてしまって、周りは大騒ぎなんだけど、アッテリオだけ気づいてなくて、観客のほうがハラハラしたり、ベニーニ・マジックにやられっぱなし。
でも、実はそんな陽気なシーンの根底に流れているのは、やっぱりイラク戦争という暗く埃っぽいものだったり。
映画の前半は、ローマの、雑然とした中にもゆっくりと流れる空気が心地よく、アッテリオの夢の中のロマンチックな雰囲気とも相まって、うっかりとあまーい恋愛映画に身をゆだねそうになるのに、いきなりのイラク戦争。
あまりのギャップに混乱してしまう。
なぜ?
なぜベニーニとイラク戦争???
「ライフ・イズ・ビューティフル」も、戦争や、ユダヤ人虐殺という暗い時代を背景に、ユーモアと愛とを加えて、息子を守り抜く父親を演じ、ベニーニと戦争は切っても切り離せない関係なのかもしれないんだけど、イラク戦争という、つい最近おこっていてまだ終結をみていない、生々しく残酷な現実と、陽気なベニーニが、どうにもうまく結びつかなかったんよね。
(第二次世界大戦と違って、自分がイラク戦争という現実と、今まさに同じ時代に生きている、ということも大きいのかもしれない)
そんなギャップを埋めてくれるのが、ジャン・レノ演ずる詩人、フアド。
フアドは暴走ぎみのアッテリオをやさしく見守り、諭しながらも、自らは絶望のなか、悲劇的な結末を選んでしまう。
フアドこそが、多くを語らずにベニーニとイラク戦争を結びつける重要なバイプレーヤーとなっている。
花びらの舞うなかのフアドが、悲劇的で、でも、美しかった。
それにしても、アッテリオは一途だね。
その一途な愛をこれでもか、と、みせつけられて、こっちは涙腺がゆるみっぱなし。
薬を探してくるからね、とヴィットリアにキスをするたびに、彼女の顔に触れるネックレス。
多分これは後々なにか意味を持ってくるシークエンスなんだろうなあと想像させながらも、最終的にえー、そうだったの!?とびっくりしてしまった。ベニーニに最後までだまされていたおいら。(おいらだけだったのかな?)
それから、夢の中で、アッテリオとヴィットリアのために歌っている、トム・ウェイツ。
いいねぇ。
かなり渋いね。
「ダウン・バイ・ロー」ではベニーニと共演もしている歌手。
この歌声がまた違う味付けとなっている。
ベニーニのはしゃぎっぷりも相変わらず、ニコレッタ・ブラスキの美しさもこれまた相変わらず。
安心してベニーニの用意してくれたゆりかごに揺られて観るがいいさ。
いきなり大きく揺らされてびっくりするからね。
原題である「LA TIGRE E LA NEVE」(英題The Tiger and The Snow)
虎と雪の意味が本当にわかるラストシーン。
しっとりとした感動の中、ほほえまずにはいられない。
5つ星でやんす。
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